保育園という世界の中で。

前回のブログでは、私が生まれてから保育器から出られるようになるまでのお話を書かせていただきました。

とは言っても、生まれてから物心がつくまでのことは私の記憶の中にはありません。

お父さんお母さんから聞いたお話や残されていたビデオテープ、写真を見て知ったこと、それを私が文字という形に変えただけです。

ですから、そのとき私自身が感じていたことや思っていたことなど、私視点のお話はどうやってもできないわけで、すごくさらっとした内容になっていたと思います。

 

今回のブログは、私が保育園に入園してからのお話です。私の記憶の中にあるお話です。ということは、これまでより私視点の内容が多くなるということで、私もいろいろと書けることが増えるなぁと少しワクワクしています。

私は3歳で保育園に入りました。さすがに入園式などの記憶はありません。

ですが3歳で入園し、私のクラスの担任をしてくださっていた先生のことは覚えています。私はその先生のことが大好きでした。あとは、私はものすごくお母さんにべったりの子どもだったので、初めの頃、いや、保育園に慣れるまでしばらくの間は、登園する度にギャン泣き。ぼやっとした記憶ですが、毎回クラスの先生がお母さんから一生懸命私を剝がしていたことは覚えています。先生もお母さんも「はいはーい(笑)」と笑っているのですが、当の本人はこの世の終わりくらいの絶望を感じていたみたいで。そのくらい駄々をこねていたことは覚えています。それでも毎日私のことを笑顔で迎えてくれていた先生方には本当に感謝です。特に私が好きだった担任の先生がお休みの日は、いつもに増してお母さんから離れるもんかと泣きじゃくっていたので、それもまた、今思えば失礼な子供だったなぁと申し訳なく思います。

年中さんになると、いつも決まって一緒に遊ぶお友達ができました。ひとりは女の子、もうひとりは男の子。三人でよくおままごとや鬼ごっこをしていたことを覚えています。

そう、おままごとと言えば、話は逸れるのですが、私、ものすごくごっこ遊びが好きだったんです。お家ごっこに学校ごっこ、お店屋さんごっこ。逃走中ごっことか。それで迷惑していたのが、私の妹たちです。なんていったって、毎回私のごっこ遊びに付き合わされるんですから、たまったもんじゃなかったと思います。学校ごっこだって、いつも私が先生役なのですが、その先生が優しい先生ならまだよかったと思います。だけど私の先生は絶妙に厳しかった。厳しかったというか、ごっこ遊びへの熱量が半端じゃなかったので、再現がいちいち忠実だったんです。自分で名簿や連絡帳を作ったり、今日の目標、校歌までありました。これを今自分で書きながら引いています。最初は楽しかった妹たちも、だんだんと私のごっこ遊びの誘いにのってきてくれる回数が減っていったことを覚えています。ごっこ遊びの設定が学校だったときは特に。反省しています。

後半のほうは架空の生徒といいますか、誰もいない空間に向かってひとりで授業をしていました。傍から見たら恐怖です。あの子には何か見えているのではないかと。でも安心してください。私にも生徒は誰も見えていません。

それに対して、逃走中ごっこなんかは、兄弟が三人しかいないので見えない架空のハンターから逃げるのですが、私が作った段ボールの携帯を持ちながらただただお家の中を走り回っている妹たちの顔は笑顔でした。

話がだいぶ脱線したのですが、保育園で仲の良かった三人組でごっこあそびをするときは、いつもお家ごっこだったと思います。まだ学校という世界を知らなかった、穏やかなごっこ遊びでした。

この三人組の中にいた男の子、この子が私の初めて好きになった男の子でした。おとなしいけど優しい子。一緒に遊んでいて楽しかった。最初はそんな感覚だったと思います。

私は給食とお昼寝の時間が嫌いでした。なんて面倒くさい子供なんだという感じですよね。今でもそうなのですが、私はサラダの中に果物が入っているのが苦手で、それがどうしても食べられなくてよくクラスの隅っこでもう遊び始めている友達たちを眺めながら居残りしていました。しかも、保育園の給食はこの果物入りのサラダが出てくる頻度が多い。それが私が給食の時間が苦手な原因でした。

お昼寝の時間が嫌だった理由は、ただ嫌だった。だと思います。お昼寝が嫌いな子供って多い気がするのですが、あれはやっぱり遊びたい気持ちが勝ってしまうからなのでしょうか。小学生になると、あのお昼寝の時間がいかにありがたいものだったのか痛感しました。

 

今日はここまで。保育園に入園してから、年中さんくらいまでのお話を書かせていただきました。

優しい先生と賑やかで温かい、保育園というあの場所が恋しくなったりもするけれど、今日も私は生きています。