大丈夫。未来は明るい。

今回は、前回のお話の続きを書かせていただこうと思います。

 

いじめに耐え続け5年生になったある日、私の中で我慢の限界を越える出来事が起こります。

それは放課後、教室で同じクラスの子がボスにいじめられているのを目の当たりにしたことでした。ボスを筆頭に、複数人でひとりの子をいじめていたんです。

今までボスからのいじめに黙って耐えてきた私の身に何が起こったのか、自分でもあまりよく覚えていません。ですが、いじめをしているボスに向かって「○○は相手の気持ちが想像できないのか。いい加減、逆の立場に立って考えてみようよ。」と言い放ったことは覚えています。ボスは驚いた顔をしていました。理由は分かっています。一つは、普段はクラスの中でも大人しく、今まで何をしても言い返してこなかった私がいきなり文句をつけてきたこと。もう一つは、今まで誰もボスに歯向かう人がいなかった中で、自分に歯向かう人間が現れたこと。

その後この出来事はどういうわけか、先生たちの耳まで届いてしまうことになります。

正直その頃の私は焦りました。先程もお話ししたように私はクラスの中では大人しく、先生に怒られたこともない、そんな生徒だったからです。担任の先生からも自分がどう見られているか、小学生なりに分かっていました。だからこそ、先生に自分の隠していた部分を見られたような気がして恥ずかしかったんだと思います。

先生の耳にその出来事が届いていたことを知ったのは、ある日の帰りの会でした。

先生が突然「このクラスに隣のクラスの○○にものを言える子がひとりだけいる。」という話をし始めたんです。あの日、教室内には私たち生徒が数人いただけでしたので、最初は特になにも感じず話を聞いていました。が、話を聞けば聞くほどあの日あった出来事を先生が知っていることは明らかでした。私の心臓はバクバクです。

ですが、私の性格を分かっていた先生は、私の名前だけは伏せておいてくれました。

そして最後に先生がこう言いました。「そういう生徒が一人でも多くなることを願っています」。この一言が私の心を軽くしました。先生にバレたことは確かに恥ずかしかったけど、自分のしたことは間違っていなかったんだと、少しだけ誇らしい気持ちになったことを覚えています。

その放課後での出来事があって以降、私に対してのボスからのいじめはぱたりとなくなりました。そして、私の周りからもボスのいじめはなくなりました。

もちろんボスが全ての子に対していじめをしなくなったとは思っていません。私の知らないところでは、いじめは続いていたと思います。

私を含め、私の周りからボスのいじめが止んでから、ボスは悪いことをする前に必ず私が見ていないかを確認するようになりました。私は横目でボスが私を確認していることには気づいていましたが、その悪いことがいじめや人を傷つける行為でなければ、私は気づかないふりをしていました。そこまで私が立ち入るべきではないと、小学生の私は判断したのだと思います。

私の判断が正しかったのか、それは分かりません。その行為がいじめではなかったとしても、悪いことをすることに気づいていたのなら注意をできる子でいなさい、と考える先生もいたかもしれません。私が引いた判断のラインは、それが人を傷つける行為であるか否か。そのラインを引いたのは、自分自身を守るためでもあったと思うからこそ、逃げだと思う方もいるかもしれません。

ですが、これがその時、小学校という社会の中でいじめと戦い続けた小学生の私が出した精一杯の答えでした。

 

今回はここまで。前回のブログに引き続き、二度にわたって私が経験した小学校での「いじめ」についてお話させていただきました。

私が小学生だったのはもう十年以上前のことです。ですから、今現在の小学校という社会がどのようになっているのか気になったりもします。なんとなく私のイメージですが、今の小学生は私たちの時代よりも賢そうに見える、あの頃の私たちよりいろいろなことを知っていそう、分かっていそうです。

だからこそ立ちはだかる壁もあるんだろうなぁ、と勝手な想像をしながら、だけど立ちはだかる壁の種類が違っても、小学校という社会の中で、小学生なりに一生懸命生きていることは確かだと思います。あの頃の私がそうだったように、心の中にいろいろな思いを抱えながらも、子どもなりに毎日必死に生きているんだと思います。

普段、外を歩いていて小学生を見かけると、私はいつも漠然と思うことがあります。

「この子たちの未来が明るいものでありますように」。

無責任に聞こえるかもしれません。だけど、この子たちにはこれからまだまだたくさんの選択肢があって、もっともっと広い世界がある、自分の意志で未来を切り開くことができる、だから大丈夫だよ、と。もしかしたらこれは、あの頃の私に伝えたい言葉でもあるのかもしれません。

23歳になった私にも、大丈夫、未来は明るいよ、と言い聞かせながら、今日も私は生きています。