年長さんなりの意地。

今回は、私が保育園の年長さんだった頃を振り返ってみようと思います。

私の保育園では、年長さんになると全員、よさこいを覚えていろいろな場所で披露をするというしきたりがありました。いつもは優しい先生たちが鬼のようになって指導をします。なんなら園長先生まで出てきちゃったりします。そのくらい私の保育園では年長組さんのよさこいが伝統として受け継がれていました。担任の先生方にとっても1年を通しての大仕事だったと思います。

このよさこいで、私の知らなかった、きっとお父さんお母さんも知らなかったはず、の私のちょっとした才能が開花することになります。それが「踊り」です。なんとよさこいのセンターを任されてしまうという、今思い出しても何がどうなってそうなったのか分かりません。覚えていません。気がついたら真ん中に立たされていました。

幼い頃の私は恥ずかしがり屋で、人前で何かをするのが大の苦手でした。

これはよさこいより後の話になりますが、お遊戯会でヒロインの役を任されたとき、その練習が嫌で、保育園を数日間ズル休みしたくらいです。

ですが、先生に向かって「やりたくない」と言いにいく度胸はもちろんありません。

1年間ちゃんとセンターをやり続けました。残されていたビデオテープを見返すと、確かに保育園児にしては程よく、周りの子たちより少しだけ上手に踊れていたんだと思います。あとは自分でいうのも何なんですが、覚えと聞きわけは良かった、はず。これは先生に怒られるのが嫌だっただけなのですが、何十人もの子供たちに踊りを覚えさせなければならなかった先生の立場を考えれば、私がちょうどよかったのは少しわかる。その1年の間に、よさこい以外に鬼剣舞という踊りのセンター+ソロパートまで踊りました。これに関しては正直、保育園児ながら「それは聞いてない」と思いました。鬼剣舞って刀を持って踊るんです。余計に「どうして私なの」と思いました。せめてもっと可愛い踊りだったら嬉しかった。そんなこんなで流されたまま、年長さんの1年はお家でも踊りの練習をしていたことを覚えています。

だけど今思えば、この経験で私が得たものはたくさんあったと思います。ひとつのことを最後までやり抜いた時の達成感、努力するということ。最初はものすごく嫌なことだったけど、保育園児なりに先生方の期待にも応えたかった。だから、一生懸命でした。

そうやって少しずつ心も成長させてもらったのだと思います。

そしてそして、私はこの年長さんの間に初めてのバレンタインというものを経験します。前回のブログでも紹介した仲良し三人組の中の男の子。私の初恋の人です。

どうやって渡したのかは覚えていないけれど、チョコレートを渡したと思います。そして、ホワイトデーにはお返しをもらいました。お返しを渡しにお母さんと私のお家まで来た彼が、お母さんの後ろに隠れてぴょんぴょん覗いていたのを覚えています。つまり正しくは、彼からというよりは彼のお母さんからホワイトデーをいただきました。

 

今日はここまで。今の私が「どんなことでも最後まで全力でやり抜く」ことができるのは、保育園のここから始まったと思っています。

誰にでもできることでも、目新しいものでなくても、やり抜いたからこそ見える景色だったり得られるものって本当にあるんだなぁと、まだ人生23年しか生きていませんが、そういう経験を他の人よりも少しだけ多く経験してきたように感じています。

その分、辛いことや葛藤もたくさんあったけれど、いつもそれを支えてくれていたのは家族でした。今でもそんな心強い家族に心は支えられ、今日も私は生きています。