強く、優しく、正しく。

今回は、私の小学生時代のお話を書かせていただこうと思います。

小学校での出来事を書こうとすると6年分あるので、一度のブログで全てを書くことはできないと思います。ですから、何度かに分けて少しづつお話しできればいいなと思っています。

2007年、春。私は小学校に入学しました。赤いランドセルと勉強机は祖父母からのプレゼント。一年生だけが被る黄色い帽子とぴかぴかのランドセルを身につけて、通学路に慣れるまでは毎朝お父さんが一緒に登校してくれました。毎朝私と登校をするとき、お父さんが決まっていつも着ていた服を今でも覚えています。

通学路にも慣れ、ひとりで登校することができるようになってからはお母さんが、私の姿が見えなくなるまで手を振って見送ってくれていました。時には玄関から、時には洗面所の窓から。いつも必ず姿が見えなくなるまでちゃんと手を振ってくれているのが嬉しかったです。だけどお母さんの姿が見えなくなる最後の瞬間が少しだけ寂しくて、時々後ろ向きのままちょっとだけ後戻りしてみたり。それでもお母さんはまだちゃんとそこにいてくれていて、そんな私に向かって笑いながら手を振り続けてくれていました。

入学して間もなく、私は小学校生活6年を通して戦うことになるある壁に衝突します。

それが「いじめ」でした。

私とは別の保育園から来た子の中に、ボスのような女の子がいたんです。ある意味賢い子たちは、そのボスの手下につくのが早かった。そうすれば自分がいじめられることは無いわけですから、いつもボスは複数の女の子を引き連れて行動していました。中には、男の子もいたと思います。そのくらい権力を持っていたということです。後に彼女は、校長先生までを机と一緒に蹴り飛ばします。

私はそのボスと4年間同じクラスでした。一年生の頃は、毎日泣きながら帰ってくるのがお決まり。お家ではお母さんが待ってくれています。

座っているお母さんの膝に顔を埋めて、よく泣いていました。そんなこんなで6年間、私はお家に帰ってくるなり、学校であった出来事を1から10までお母さんに報告することが日課になっていました。今日あった嬉しい報告から愚痴まで、私はお家に帰ってくるとほぼ毎日ずっと喋りっぱなしです。お母さんはそれを6年間、毎日ちゃんと聞いてくれていました。

私のお母さんの凄いところは、私の話を聞くだけで終わらないところです。

いじめられて泣いて帰ってくることが多かった私は、お母さんからしつこく言われていたことがありました。それは「いじめにあった時、いつ何時も自分に非があってはいけない。だから嫌なことをされても、悪口を言われても、絶対に相手に同じことをしてはいけないよ。正しさで戦いなさい。」と。

このお母さんの言っていた「正しさ」を文章にして説明するのは難しいのですが、人としてどうあるべきなのか、どんなに嫌な思いをさせられても、間違った方法で相手を攻撃することが無いように、泣いて帰ってくる度に、いじめとの戦い方を何度も何度も私に教えてくれました。

この時お母さんから得たたくさんの学びは、今も私の中で大きな存在として残っています。

 

今回はここまで。小学生になって私の前に立ちはだかった「いじめ」という壁。

その壁の乗り越え方は、お母さんから教えてもらいました。

いじめは辛かったけれど、心は強く、人には優しく、正しくあることで、私は私を好きでいることができました。

お母さんが教えてくれていたこと、それはいじめとの戦い方でもあり、同時に自分を守る方法でもあったんだと、今改めて思います。

いくつになっても自分のことを好きでいられるように、今日も私は生きています。